住職のお話し
03)桜の花びらに憶いをよせて
こんなにも開花を待たれる花がほかにあるのでしょうか。桜の国に生まれてよかったと、毎年この季節ありがたいような、もったいないような気持ちになります。しかし、咲いたかと思えば早くもはらはらと散り始める、まことに人の一生を思わざるを得ません。葉桜青葉のときも、紅葉枯葉のときも、裸木冬芽のときも、枝を見上げては満開のこのときを思い描きます。数えて53回目の花を見上げ、あといく度このような幸せを数えうるのかと、人の死と常に身近に接する職業ならではの感慨にふけります。
私がまだ小僧として働いていたころ、近所の銭湯でよくいっしょになった友人の息子が、つい先日あたら若い命を絶ちました。私の若いころの症状によく似た精神的な病が元でした。自分はその時に法華経に出会い、命を救っていただいたというのに、ご家族の様子から異変を察知することもできず、このような結果を報告され、何一つ役に立たなかった私が葬儀の導師を頼まれました。せめて精一杯の読経で、散り頻る桜吹雪とともに送ったのです。
さて、4月8日は、潅仏会(かんぶつえ)、はなまつりです。当山でも毎年、一階駐車場入口に大きな白象と桜の造花を出し、道行く人々に甘茶をご接待しています。お釈迦様がご誕生の折、天から甘露の雨と花が降ったと、経文に記されています。われわれ衆生に、真の人の道を教えにこの世に降りてきてくださったお釈迦様のご誕生を、心から祝ってくださる人々の笑顔にもまた、甘露の雨よ降れと祈ります。