住職のお話し

23)仏縁とは不思議なものです

春慶寺住職

 仏縁とは誠に不思議な出会いの糸を紡ぐものです。数年前私が尊敬して止まぬ小野文珖師から『カスピ海沿岸にあるロシア連邦に属するカルムイク共和国という国を知らないか。』と聞かれた事があります。ヨーロッパ圏で唯一ラマ教を国教としている国だと聞いてこの国名は私の脳裏に深く刻まれました。
 さて今回通訳をしてくれたバートル氏は無憂花基金として現在進めている鳩摩羅什訳法華経のモンゴル文字翻訳事業のモンゴル側窓口になって下さっているソドノム師来日時にも通訳をしてくれています。彼は新彊ウィグル自治区のオイラトモンゴル族出身で日本に勉強に来て今は観光業を営んでいます。カルムイク共和国はオイラトモンゴル族が人口の大半を占めていると小野師から伺っていましたので新彊とカルムイクの関係について尋ねました。新彊地区は天山北路、天山南路を含めた大乗仏教ゆかりの地で、ハルハと呼ばれるモンゴル族とは別のオイラト族が興したジューンガル帝国の地であり実際新彊のほとんどの地名はオイラト語であるそうです。最後の遊牧民帝国として四川青海からチベットまで含めた広大な国土を誇りましたが満州族の清国が興ってから帝国は滅亡しました。オイラト族は清国の圧制から逃れカスピ海沿岸まで移動しましたがスラブ族のロシア帝国カテリーナ二世の拡張政策の圧迫を受け再び清国領へ民族大移動をする決意をするのですが、その年の冬運悪くボルガ川が完全凍結せず東岸に逃れついた人々と西岸に残った人々に分断されてしまいました。西に残った人々にはコサックによる虐殺、ソ連邦になった後もシベリヤ、樺太への強制移住、彼ら独自のトド文字の抹殺、宗教弾圧と苦難の歴史は続きました。ペレストロイカによってロシア連邦の一共和国として国土を得、ラマ教を国教と定めて現在は民族の文化復興に力を注ぎ一丸となって国の存続に努力しています。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan