住職のお話し

32)押上という名の由来

春慶寺住職

 今ではほとんど平らな墨田区ですが、「向島」「柳嶋」「京島」「寺島」「牛島」など島がつく地名が多く残っています。
 古くはこれらの島の回りは海または洲だったと思われます。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征の折、嵐の為船が動かなくなり、尊の身を案じて同船していた弟橘姫(オトタチバナヒメ)が海に身を投げて波を静め、その姫の遺品が押し上げられた所「押上」という地名の由来がこの地にあります。
 家康公開府以前の江戸はまだ内陸深くまで海が入り組み、ほとんどじめじめした湿地でしたし、ましてやこの押上辺りは人の住むような土地ではなかったようです。日本武尊や家康公が今のこの賑わいをご覧になったならどれほど驚かれるやら。
 入寺からたった30年のこの私でさえ、あまりの変わりように毎日ただただ驚いております。

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東京・永代供養納骨堂の春慶寺Syunkei-ji Tokyo Japan